今日は、仏教に触れる機会をいただきました。
善と悪、苦と楽、因と果…などのそれぞれが意味するものの深さに驚かされました。
誰もが一度は聞いたことのある言葉だと思います。
中でも「結果が起こったことには、何らかの原因があったはず」この言葉が、僕の中に深く刺さりました。
普段、僕たちは原因→結果という時間の流れで物事を見ています。
「こんな行動をしたから、こうなった」
「あの人がこう言ったから、私は傷ついた」
でも、仏教が教えてくれる因果は少し違っていて、
今目の前にある結果から、過去の原因を静かに見つめ直す、という視点だったんです。
例えば、「病気になった」
「仕事でトラブルが起きた」
「大切な人とすれ違ってしまった」
そんなとき、つい「なんでこんなことに…」って、 結果にばかり意識を向けてしまいます。
でも、因果の教えは言います。
今この結果があるということは、 どこかに必ず火種があったはずなんだ、と。
それは、過去のちょっとした言葉だったかもしれないし、
無意識の行動や、見て見ぬふりをした選択だったかも知れません。
そのひとつひとつが積み重なって、 今、目の前に「結果」として現れているだけなんだと。
そして、もっと大きな視点で見てみると、なぜ自分は、
今、この時代に、
この日本という国に、
この家族のもとに、
生まれてきたのか? という問いも、因果の視点では偶然ではありません。
何らかのご縁があって、 僕らは今、ここに生きています。
そう思うと、どんな出来事も、どんな出逢いも、 決してたまたまなんかではありません。
全てに意味があって、何らかのメッセージが込められています。
もちろん、全てを理解するのは難しいし、 時には納得できないと感じることもあります。
でも、それでも僕はこの視点を大切にしたいんです。
今の結果から、過去を振り返り、 未来に向けて、どんな種をまいていくか。
その繰り返しが、きっと人生そのものなんだと思うからです。

今日の学びが、また一つ
僕の心の奥に静かな光を灯してくれました。
そして、その光を誰かと分かち合えたとき、
また新しいご縁が生まれていく氣がしています。
今日という一日も、きっと何かの「果」であり、「因」でもあるはずです。
あなたは、今日という日を、どんな未来につなげていきたいですか?
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