境界線ってどこにあるの?

2025.07.23

この前、こんなニュースを読みました。
「被爆者の前で“核保有”を主張するのはどうなのか?」って話。

この記事を読んで、ふと、こんな疑問が浮かんできたんです。
「え、日本って“核”持ってないって聞いたけど…
 原子力発電所って、そもそも“核”だよね?」

  1. 調べてみたら、やっぱり日本は「核兵器」は持ってない。
    これはもう、非核三原則(持たず・作らず・持ち込ませず)でバッチリ。
     
     
    でもね、
    “核そのもの”=核物質(ウランとかプルトニウム)は、たくさん持っています。
    どういうことかというと、
    原発で使ってるウランとか
    発電後に出る使用済み燃料(この中にはプルトニウム)とか
    これらは全部「核物質」というもので、
    ちゃんと保有してるんです、日本。
     
     
    プルトニウムに至っては、
    「再処理」という名のもとに分離されてて──
    なんと、40トン以上。
    核兵器にすると数千発分とも言われてるんだとか…
     
    もちろん、全部「平和利用です!」ってことで、
    IAEAの監視下にあるし、兵器化はしていません。
     
     
    でも…「じゃあ、“核はない”って言っていいの?」
    「“核兵器はない”けど、“核”はあるんじゃないの?」
    って、思ってしまった訳です。
     
    さらに言えば、
    原子力発電所って、攻撃されたら大変なことになるんだよね。
    放射能が漏れて、地域が住めなくなるようなリスクも。
    にもかかわらず、「安全です」って前提で話が進んでるの、
    なんか腑に落ちないな〜って。
     
     
    戦争のことも、エネルギーのことも、
    そして「日本が本当に何を持っているのか」ってことも、ニュースのひと言をきっかけに、
    ちょっと自分で考えてみるのって、大事かもって思いました。
     
     
    「核兵器は持っていない」──これは日本の立場。
    「でも、“核”は確かにあるよね」──これは現実。
     

  2.  
    その間にあるグレーゾーン。
    僕はふと、その曖昧さに引っかかってしまいました。
  3.  
    そして今、思うんです。
    そもそも「核兵器」と「核」って、どこで線を引くんだろう?
    核に限らず、世に溢れているほとんどの事案が、
    こういった境界線の上を歩いているような氣がしちゃいますね。
    あなたはどう感じますか?

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