葉っぱと私どっちが大事なの?

2025.08.03

先日、ある女性とお話する機会がありました。
その方が、僕との会話の中で印象に残ったという
「輪廻転生」や「不殺生」の話を、5歳のお孫さんに話したそうなんです。
 
 
するとそのお孫さんが、こんなことを聞いてきたんだとか。
「ねえ、ばあば。私と葉っぱはどっちが大事なの?」
 
 
…大人でも答えに詰まりそうな、まっすぐで奥深い問い。
命の重さを天秤にかけることなんて、本來できるはずがないのに、
そのお孫さんは、迷いなく、その核心を突いてきます。
 
その時、彼女は輪廻転生の話をしたそうです。
「葉っぱにも命がある。そしてその命もまた、巡り巡って形を変えていく」
そんな風に伝えたと。
 
僕はそのお話を聞いて、行基菩薩様が残した詩を思い出しました。
 
 
ホロホロと
なく山鳥の
声聞かば
父かとぞ思ふ
母かとも思ふ
 

 
この詩は、山にこだまする鳥の声を聞いたとき、
「もしかしたら父かもしれない。母かもしれない」
そう感じるというこの詩には、命が巡って繋がっているという、
慈しみの世界観が込められているように思います。
 
 
あらゆる命は、繋がっています。
だからこそ、どれが“上”でどれが“下”ということではなく、
「すべてが大切」なのだと、
5歳の問いかけが僕たち大人に教えてくれたような氣がしました。
 
 
命に優劣はありません。
形を変えて、またどこかで出逢っているかも知れません。
そんな風に思える世界は、なんだか優しくて、温かい…。
 
あなたは、命の繋がりを感じたことがありますか?

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